安行の町

 
 安行の植木は、承応年間(1652〜1654)安行村にいた吉田権之丞(よしだごんのじょう)にはじまるといわれています。吉田氏は若いころから植木に興味をもち、いつも出入りをしていた江戸の大名屋敷なので珍しい植木があるとその枝を折って持ち帰り、苗にして植木を育てていました。村の人がこれを真似て植木を始め、これが安行植木の街と始まったそうです。その当時はまだ、切花、盆栽が中心だったようです。このころ、安行で植木つくりの種がまかれたようで、天保7年(1836)10月、岩槻城主大岡忠固が将軍家へこの地方でつくった松の鉢植えをさしあげ、その後も毎年、盆栽や百合根などを献上したことが記録にのこっています。明治にはいると、安行の植木の名は全国的に広まるようになりました。

植木を育てるためには、自然環境は非常に大切な要素のひとつです。

 安行台地と呼ばれる標高15〜30mの台地の土は、赤土(関東ローム)で肥料分がすくなく、米や野菜を作るのには適していませんが、適度な水分と空気の流通があって、植木を育てるには大変適しています。

 また、地形をみると台地、傾斜地、低湿地が複雑に入り組み、日当たりを好む植木、そうでない植木、湿地を好む植木等が地形をうまく利用して、栽培されています。

 さらに安行は日本列島のほぼ中央に位置しているので、気候的にみても寒い地方で育つものから、温かい地方で育つものまで、ひろい地域の植木をつくることが可能です。

              赤山城 

安行の歴史について

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